猿島郡の由来と実態─古河・総和・五霞はもともと”葛飾郡”なのです─ 余り知られてませんが、古河・総和・五霞は元々下総国葛飾郡なのです※1。 |
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左記のように、郡とは”昔々”朝廷が作った行政単位です。当然今の生活圏とは食い違います。 「〜目指す会」のチラシ「資料4」をお持ちの方はそれを見て下さい。そこには「広域市町村圏」という考えのもとに、行政事務(略)などの共同の仕組みを築いて、行政サービスと行政の効率化を目指してきました」とあり、具体例として、”古河岩井保険医療圏”等をあげています。 これらの機関には共通点があります。すなわち、行政側の必要によって設置されていることです。そしていくつかの市町村にまたがる場合に、その範囲を名前だけの存在で「生活圏」とは異なる「郡」に求めたのです。それこそが「郡」という行政機関があるかのような錯覚を生む原因です。 道州制導入も検討されている21世紀になった今、「生活圏」にあった行政単位を作り、住民本位で必要な施設を、場合によっては民間の力を借りて作ることが必要ではないでしょうか。 「〜目指す会」は”古河岩井保険医療圏”はの説明で、中核となる病院が茨城県西南医療センター病院ですと書いています。しかしこれも国の方針「地域のどこからでも1時間以内であること」を満たすために場所を選んだに過ぎません。古河−総和−三和、境−岩井−猿島という「生活圏」にそくして、それぞれが最適な配置を考え、病院誘致などをすれば、「地域のどこからでも30分以内で行ける」中核病院ができるのではないでしょうか。また、十分管理の目が届き、無駄も無くせるのではないでしょうか。それこそが、結局は「行政サービスと行政の効率化」につながるものと思います。
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※1 総和町小堤で、「証拠」を見つけました。(リンクの地図のところです)
10何年かに一度開帳される観音様があるところです。たまたま通りかかったときに、石碑を見て気づいたので写真もありませんが、石碑の後ろにこうあります。
下総国葛飾郡小堤村〜
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